草津のあんちゃん日記

親友木村善光と私

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Posted by 滋賀咲くブログ at

「近江の連歌・俳諧 」 木村善光 著者の心境 「後記」

木村善光君が「近江の連歌・俳諧」を書くに至った心境を著者の後記に記している。

山好きの男が教師として教壇に立って30年を経た。その間30年の歩みはサッカーを通して常に生徒達と共に過ごした。

又、幸いにも京都大学教育学部で研修する時間を与えられ日本教育史を勉強させてもらった。

1986年(昭和61年)50歳で過労から初めて、長期入院の身となり、体力に自信をなくした。

サッカーを教えることも、責任あろ教務からもはずれて、夜間人工透析に週2回通いながら、ベットの上で

「自分は何をしてきたのか」、「これからどう生きて行くのか」と自問を繰り返す。そして身障者一級という

ハンデイを克服し、前向きの姿勢に変えて行こうとして、いつもピンチの時に生徒に言ってきた言葉を自分に言いきかす。

ともあれ、その一つのエポックメーキングとして忘れていた私のもう一つの対極、研究に対する情熱を目覚めさせねばならぬ

そのための過去の整理、この上に立って今後の方向を決めねばと思うようになった。ここにまとめた拙稿は、今後の決意表明

でもあろのだ。高額医療福祉を受ける自分は、何で社会にお返しできるのか。もとより滅私報恩という健全な「私」力もない

が、少なくとも命ある限り懸念の生をこの道に捧げねば申し訳ない。私が「生きる」か、人生の惰性を貪るかは、一に自分の

人格にかかわる問題である。従って私は「生きる」自分を志向する。

思えば私は幼少よりよき師、よき友に恵まれて育った。妻と共々にご指導を賜った三品千鶴先生、いつも私を支えてくれた

親友の竹川昌一氏は言うに及ばず、畏友の石本政雄兄や沙加戸兄、彼等は宮田先生の一門にして私のよきアドバイザーであり

公私にわたって御厄介になってきた。まがりなりにも私が勉強を続けられたのは、師に励まされ、友に仲良くしていただいた

おかげである。本当にありがたい師や友である。右に左にゆれ動く、何をやろうとしているのか徹底を欠く私を、気長に見守

っていただいたこれら 師の慈愛と友の友情に、私は今全幅の信頼と感謝の念でいっぱいである。

教師生活三十年の歩みの記念にもと出版する運びとなった。とはいえもとより浅学非才、推断当を得ぬ所も多くあろう。

独断と偏見の誇りは雅拙のいたすところ、誤解もあるやもしれぬ。読者諸賢の斧鉞を得られれば幸いである。


木村善光



  


Posted by 元祖あんちゃん at 12:55Comments(0)親友木村善光と私

親友木村善光と私

中神良太先生の著書「山崎宗鑑翁遺墨集」を基に、私の同級生で親友のの木村善光先生が「近江の連歌俳諧」という著書を出版されております。今回はその中の山崎宗鑑翁の出自を紹介させていただこうと思います。私は満州からの引揚者で家事が忙しく、中学生時代に、ほとんど行く時間がありませんでした。それを見かねた木村善光君は私が学校に行かない日 は 必ず一日の授業をノートに執リ届けてくれました。明日試験があるという日は、問題と解答を併記し、ノート追加記入して三年間絶え間なく協力してくれました。
木村善光君の大学時代には、山岳登山によく出掛けました。
又、二人で北海道一周毛布を持つて無銭旅行に23日間行き多くの思い出を作りました。
木村君が膳所高校の教師となってからは社会人としては、私の方が木村君の先生的な立場で相談を受ける機会が増え、尚一層深い友人となりました。
そんな中でサッカーの指導者、教育者として頑張り過ぎたせいか、体調を崩すし透析を受けなければならない 身体 になってしまいました。それからは 旧野洲川跡地にサッカー場
作りに没し完成開幕大会の会長としてやり遂げました。
その後は、本来の古文学の世界に没し、研究成果を数冊の自主出版の本に仕上げ各図書館
に無料配布しました。
守山市の要請を受け守山市史誌を七巻完成し、編纂室長の役割を果たして亡くなリました。


木村善光先生略歴
昭和11年5月4日生......平成20年11月1日亡 (73歳)
草津小学校 草津中学校 膳所校 卒
昭和34年3月 滋賀大学学芸学部卒業。
昭和45年3月 京都大学教育学部にて日本教育史研修終了。
甲南中、守山高校、甲賀高校、大津高校、膳所高校、守山北高校、
各学校のサッカー部の部長、監督 歴任
守山市サッカー協会 会長
ビックレイクサッカー場実現に取りくみ平成17年9月に天然芝一面 人工芝ニ面 完成。
昭和58年から5年間 滋賀県高等学校国語教育研究会副会長。
滋賀俳諧文学研究会事務局長。
守山市史誌編纂室にて守山市史誌六巻 、守山市生活.民俗編一巻k
透析治療のハンデイを抱え文字通リ一人で編纂と何十枚の挿し絵も描いていました。








  


Posted by 元祖あんちゃん at 16:42Comments(0)親友木村善光と私
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