草津のあんちゃん日記

私の履歴書

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ベートーベン交響曲第九番二短調(通称第九)1989年1月1日 宅建協会誌

明けましておめでとうございます。

皆様には輝かしい清新な新年をお迎えになられたことを心よりお慶び申し上げます。
「人生の計は元旦にあり』と故事より申します通り、新年を迎える度に今年こそはと人並みに奮起一変をしたいと思うのですが残念ながら一年を通じて実行、実現出来たことはありません。日々仕事に粉れ雑用に追われて “人生” 等という大層なことを振り返るチャンスさえ逃がしてしまうことのみ多いのが現状です。
 けれど毎年、年の瀬になると特有の何やら忙しく浮き足立つ大詰め感、普段と違った高揚した気分の巷にベートーベンの交響曲第九番ニ短調(通称第九)が盛んに流れているのを耳にするにつれ何か落ち着いて謙虚にその年の精算をし新年を迎える心の準備をしようと思い立つのは真に不思議な現象なのであります。
 事実第九はいうまでもなく大曲であり人間としての《喜び》とか《友愛》とかのいったものが人類的な観点から歌い上げられていて高邁な普遍的な理想主義があり聞く者に一種の魂のみそぎのような強く人を啓蒙するものがあり、それが年末、年始という季節感と結びつき感動をひきおこすのだろうと一般に分析されています。
 実は、私は中学生の頃よりの蔭れクラシックファンであり、朝八時のNHK第二放送で放送で演奏される数々の名曲を聴いてまるで自分が指揮者になったようにタクトを振ったり、我を忘れて陶酔したものです。また、私と第九の出会いは昭和二十七年の十二月に、京都の松竹座に於いてでしたが、当時は第九がどれほどスケールの大きなシンフォ二ーであるかも知識的には無知でしたが、魂が根底から揺さぶられるような感動に茫然自失になり容易に席を離れられなかったのを今も覚えています。
 年末の日本列島を駆け巡る第九のブームはすっかり定着していますが、このブームの歴史は戦後の二十三年から大阪フィルハーモニー交響楽団が演奏することにより、全国に定着したものです。この曲の大きな特徴は、シラー作の(歓喜への頌歌)に啓発されたベートーベン自身の熱い感動が、楽器のみの調べではなく人間が発する原点の音である人声を用いた音楽史上 初の合唱付き交響曲として実現された点にあります。故に第九は演奏されるだけでなく自らも参加し『歌う会』としても全国的に発展して行ったのであり、現在では、演奏の多くはプロであっても合唱には広く一船の人が加わってにぎやかにという傾向にあります。そうして、何万の人が 声を合わせてたどたどしいドイツ語で歌い叫ぶことにより人々が孤立している現代の数少ない一瞬の『連帯の場』を提供しているという、真に良質な展開をも見せているのです。
 さて、正式名称は『シラー作の歓喜への頌歌による終結合唱を伴った交響曲』と言って、完成はベートーベン五十四歳の時、つまり彼の死の三年前であります。この時期ベートーベンを様々な問題が悩ましていたようであり経済的な不安、聴力の悪化などの私事は勿論のこと真に、この巨匠を苦しめたのは彼や一般の人々を取り囲む政治が理想から大きく外れていくことではなかったかといわれています。各国の自由主義は、徹底的に弾圧され再び暗黒の時代になろうとしていた時代に、今こそ人生の生きがい、人生の真の喜びを求める賛歌が人民の為に必要だとベートーベンは感じたのにちがいないのです。
 第九は闘いの歌でありロマン・ロランはその著作の(ベートーベン)のなかで「彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す。そのことを彼は次の誇らしい言葉で表現した。」として「悩みをつき抜けて歓喜に到れ。」を挙げています。これこそがまさに第九のメイン・テーマなのです。自らが幾多の試練をのりこえた者だけが示し得る説得力で常に未知なる群衆に向って呼びかけているこのテーマは聞く者の心をゆさぶらずにはおかないのです。あれから三十五年聞かれない年も多々ありましたが第九を聞く度に「ああもう一年たったのか。さて新年をどう生きようか。二十一世紀まであと何年。」と人生を省みつつ次なる世紀への夢と希望を新たにするよい機会にしたいと私自身思っています。そしてこの感動ある限りいつか「歌う会」にとけあって私の人生の応援歌としてすばらしい曲と出会えたことを喜ばしいことと思って行きたいと思います。
 さて、新年の感動もあらたに本年も発展の年となりますよう自己を戒め誠心誠意努力を重ね微力ながら公務に邁進する覚悟でございます。本年も相変わらず皆々様のご指導ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。

1989年1月元旦 (昭和64年)

大昌土地(株)竹川昌一






  


Posted by 元祖あんちゃん at 16:08Comments(0)私の履歴書

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昭和63年1月発行、滋賀県宅地建物取引業協会湖南支部会報より
  


Posted by 元祖あんちゃん at 16:38Comments(0)私の履歴書ご挨拶
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